何もできない

どうもyさんです。

学部、修士の指導教員が来年定年退職されるということで、他大学大学院の院試を受けてきました。

学部、修士の私の専門は「複合語」レベルの「形態音韻論」でして、主に「連濁現象」を取り扱っています。しかしながら、博士では、「文法論」、主に「助詞論、述語論」あたりを中心にやっていきたいと考えています。

さて、ブログということで以下のようなことを話していきましょう。何度も聞かれたことなので、私の話をするのには良い話題だと思います。

  1. 連濁現象ってまだ何か研究することあるの?
  2. なんで博論で連濁やらないの?

まず、1つ目に関して、研究することはあります。それも結構たくさん。まずこのような質問が来る前提として、連濁に関する研究が膨大にある、という事情があります。つまり、色んな人が論じているから、論じ切られているのだろうという、そういう認識があるのでしょう。

しかしながら、逆に、色々な人が論じているからこそフワフワしてしまうみたいなこともあります。まず、連濁現象には何かしらの規則性があるだろうという研究の大前提があります。としたときに、連濁現象が持つ規則性とはどのようなものか、ということが問題となるでしょう。このような問題意識のもとで、「語構成」や「アクセント」、「拍数」などと関わっていそうだということが現象上指摘されてきました。

では、それぞれはどのように連濁現象に関わるのか。それぞれはなぜ連濁現象に関わるのか。連濁現象とは何もの?

というようなことは、いまだに不明です。また、アクセントや拍数などが関わるとしたとき、いわゆる日本語の諸方言での差異は何かしらあるのでは?ということも疑問になってくるでしょう。修士論文で書きましたが、いずれどこかに論文を投稿する予定なので、採択されたらお知らせします。

2つめに関して言えば、連濁現象の整理のためには連濁現象だけを、あるいは、複合語だけを見ていてはダメだという考えからです。一つのモデルケースとして、青木博史先生の複合動詞の論があります。通時的な観点から示したものですが、動詞連用形の機能との関わりなど、非常に示唆に富みます。

連濁現象が形態構造などと関係する以上、どのような形態理論を想定するのか、ということもまた理論的な問題になるでしょう。するとやはり、他領域、特に統語論との関係などが気になってくるわけです。そういう訳で、遠回りながら、しかし、このタイミングでやる他ないということで今やるのです。

が、そのために、何もできないになっています。でも、何もできないは楽しいですよ。分かれば飽きますからね。こんな終わりで良いですか?良いですね。