私のやっていること

どうもYです。興味があることなどを書き連ねていきマッスル💪🏻💪🏻

 

①連濁現象

連濁現象は、「ヤマザクラ→山+桜」のように「複合語の後部要素が和語である場合、その後部要素が濁音化している現象」と端的に言うことが出来ます。

[和語]と限定していますが、これは典型を上げているだけであり、「株式会社(かぶしきがいしゃ)」や「いろはがるた」のように漢語や外来語でも連濁している例はあります。

連濁研究の多くでは、「文書(もじょ)」や「金色(こじき)」のような、いわゆる漢語において、前部要素の鼻音(太字部分)によって濁音化しているものなどは、「連声濁」と呼び、狭義の連濁現象とは区別します。

連濁現象は常に起こる訳ではなく、ライマンの法則や、右枝条件、並列構造条件などの要因によって、連濁率が下がることが報告されています。このような条件から、連濁現象は「語構成に関わる濁音化現象」とされることもあります。つまり、特定の環境にある場合に「連濁が妨げられる」という訳です。

研究としては、①どのような環境の場合、連濁率が下がるのか、②なぜ、そのような環境において連濁率が下がるのか、③連濁率が下がることは何を示すのか、などの問いが考えられそうです。他にも様々な前提がありますが、この辺で。興味がある方は、私がこのブログ集のどこかに書いていたはずなので見てください。途中で飽きてやめたかも。

 

②格と判断論

狭い意味での日本語文法研究は、言語の線上性を重視するものと、線上性をあくまで結果的なものだとみるものの、大きく二種に分けられるのかな。知らんけど。色んなところに怒られそうだから、ここは適当に言わせて。

時枝誠記以降、渡辺実以降と言った方が正しいか、言語の線上性に着目した論がかなーり多いです。まあ、「文法とは何か」みたいな話になってきそう。他方で、線上性はあくまで結果的なものとして見る立場として、山田孝雄の文法論を色濃く受け継ぐ川端善明の文法論などがあります。

黒田成幸の文法論はこれら2者を上手く統合しているような感じがあります。森重敏などもそのような立場でしょうか。よく分からないです。

ここら辺は最近サボり気味なので、勉強し直します。

 

主にこのふたつが中心となって、他のことに派生している感じがあります。語彙意味論とか、生成統語論とか。そういうの。楽しみたいですね。