美しさと文法論

お久しぶりです。Yです。

完全にさぼっていたというか、色々と勉強したりアニメ見たりしてました。

勉強していることは、主に尾上圭介氏の文法論であったり、川端善明氏の文法論であったり、その他諸々日本語に関わる諸氏の文法論な訳ですが、読む度に新たな気づきと新たな疑問があります。

かなりの難しさがあるため、私には未だに理解の一欠片も存在しないような気がしていますが、そこに美しさがあることは分かります。

私において学問とは、乱雑さと美しさの混在であるからこそ、楽しいという意識があります。

美しさを形成しているのは、その論であって、私はそれが単に美しいとしか分かりません。

乱雑さを形成しているのは、私であって、どんなに美しい論であろうと私にあっては理解にまで到達しない、そのために乱雑さがあります。

しかし、これで良いのです。

私が初めて、理論を意識したのは、伊藤&杉岡(2002)であったように思います。ただ、そこに体系的な美しさを感じながらも、感動まで到達することはありませんでした。感情を揺り動かされたのは、渡辺実(1972)であったように記憶しています。

そこに存在する怖いほどの整然さと、しかしそれを理解できない私の、そのズレはそこに面白さを感じさせました。これは感動へと到達し得ます。

今は主に川端(2004)を読んでいるわけですが、価値としての文種類、意味構造と文構造の対応、品詞論の所在、など楽しさがあります。

雑な駄文を書いていきましたが、そのうち私の川端理解を書くようなブログを書きましょう。もちろん、雑なブログで、ですが。