学説をみるという話

最近まとめたので試みに。

ここでは、カジュアルに学説研究などと言っていきます。指すものとしては、研究上のサーベイなどと言われる部分に該当するようなそれです。ただし、むしろサーベイと言われる部分を中核的に見ていく研究方法はどのようなものかというのを書いていきます。

多くの場合、サーベイ部分は紙幅の関係もあって、誰が何をどのように言っているか、ということを述べるのみです。これで事足りる場合もありますが、実際は上記の観点に「なぜそのようなことを言うのか」ということを追加する必要があります。これが、学説を研究することの一歩目だと思います。

また、学説を研究するのだ、ということを中核に置く場合、できるだけ研究する側の色を薄める必要があります。このことは、研究方法によって、ある程度は達成することができると考えています。観点は以下のようになるでしょうか。

  1. 著者の言語観
  2. 影響関係
  3. 論理の内的整合性

1の観点は、2の観点と関わってくるでしょう。

少し説明を加えておくと、2は「背景」と言っても良いような観点です。時代背景や、どのような学説に影響されたのか、などの観点です。これを中核に添え、動的な記述を行えば「学説史」の研究へと繋がります。

ひとまず、学説研究は、3の観点を中核に添えるべきであると考えています。つまり、ある体系内部の論理関係を主眼とするべきです。ただし、3の観点は1の観点に支えられることも多いでしょう。ある体系内部の内的整合性の矛盾が、学説史的に解消される可能性もあります。ただし、やはり内的整合性の矛盾がなぜ生じたのか、という問いのうしろがわには、矛盾があることがあるでしょう。そして、現にある体系の在り方によって、その文法観の反映を私たちは見ることができるのです。

さて、以上のような前提を持ちながら、学説研究を行うとどのようになるのか、というケーススタディを本当は示すべきなのですが、ここはブログなのであまり長々と示すわけにはいきません。代わりに、学説研究の必要性をもう少し述べておきましょう。

まず、「なぜそのようなことを言うのか」という観点を持たなければ、安易な用語、術語の援用をもたらします。概念の定義は、体系の在り方に多く依存します。また、他の体系を有するものに対して、体系の批判なしに定義の批判のみを行うのはかなりの無理があります。このようなことからも、学説研究が必要であると言えます。

ケーススタディは、いずれ書いてファイルにしてどこかにあげるので、Twitterを見ておいてください@ysandesuka。