前回記事の補足だったり(音韻論ってなんですか?)

さて、私の記事では全く何も知らない人でもふわっと雰囲気は掴めるように。というものをスタンスとして持っています。
特に学問については、ですね。

より深く知りたいのならば、入門書を読めば良いでしょう。論文を読めば良いでしょう。
私がこのブログで成すべきことは、ただその前段階としての興味をひくことのみです。
勿論、明らかな誤りを興味深さのために羅列することは行いません。

さて、音韻論とは前回の記事でも話した通り、物理的な音の違いではなく、私達の認識してる音の違いについてを主とするものでした。

[ɾ]と[l]は音としては違いますが、私たちはこの音を/ɾ/の音として把握します。「ら行」の音は「らりるれろ」と一つだけであって、「ら,ら2」のように「ら」がふたつあることはありませんね?このような音を対象とするのが音韻論になるわけです。

さて、ところが世界を見てみると、このふたつの音を区別する言語が存在します。つまり、音韻論が対象とするのは多くは、個別言語についてです。同じ日本語であっても、方言によってもその音韻体系というのは違う場合もありますのでなにを個別言語とするかというのは慎重に考えるべきですが。
(私の認識としては、「方言」か「〜語(例:日本語,英語……etc)」の区別はそれがひとつの国家という共同体であるかでの差であり、個別言語とする指標にはなりません)

さて、前回の記事で少し話したところですが構造主義言語学というものが存在します。これは、ソシュール(1857~1913)が打ち立てたと言っても過言ではないでしょう。

ただ、ここはかなり注意が必要で、ソシュールが直接的に関わるのはヨーロッパ構造主義言語学ですね。別にアメリ構造主義言語学というものが存在しますが、これはソシュールとは関係ありません。同じ構造主義の冠を被りますが、全く別のものであることは認識しておくべきことでしょう。

いうて、私にはソシュールを語れる知識はありませんのであんま触れません。よく分からないのに触れて叩かれるのは嫌ですからね。特に、私の理解の正しさが保証されていないのに皆様にお教えすることなど出来るはずもありません。

さて、これらは近代言語学と言われます。まあ、近代の言語学だからです。

この次に現れるのが、かの有名なチョムスキーです。この方の説明はTwitterに私より詳しい方がわんさかいる(私はひとつも知らない)ので、そちらに任せるとして、まぁ色々打ち立てましたと。

特に、Jakobson,Fant and Halle(1959)の二値的弁別素性の研究を経て、Chomsky and Halle(1968)が出したSPEは生成音韻論においては古典的です。

ここで指す『古典的』という単語は、古いという意味ではなく、古くから存在し尚且つ価値を持つという意味です。私が使用する『古典』とはそれを意味します。

さて、この、SPEでは、素性というものは調音的な要素で構成されます(こう言っていいのかは知らんが多分)。少なくとも、音響的なものは除外されるはずです。

さて、この二値的素性ですが、様々な問題が指摘されています。簡単に言えば、この素性が関わる現象は多いのに、この素性は少ないやん!みたいな感じですね。これって同等にまとめちゃっていいの?と言われるわけです。そんなこんなで、素性階層理論みたいなのがあったはずです。(確かClements1985(?)とかだった気がしますが、私が原文読んだ事ないのと何処でこの名前を見たのかも曖昧なのでスペルやら年数やらはおそらく違うので注意して欲しい)

まあ、その他色々あるんですけど私はよく知らないですね。はい。

不完全指定とかは有名ですかね。

弱不完全指定と徹底不完全指定理論とがあるんですけど、まあこのふたつもまた問題がない訳では無いっぽいので、まあ、よく分かんないですよね。母音融合とかは取り上げられてた気がします。はい。母音融合は窪園氏あたりが取り上げてたと思うのですが、何年かは忘れました。

なんか、あれですよ。前の母音の[±high]の素性と後の母音の[±low]と[±back]の素性を引き継ぐとかどうとか。
まあ、これでは説明できないことが出てきちゃうんですよね。

結局、音韻理論は音韻現象の全てを記述したい訳で、それが出来なければその理論の一部が何か間違っているのか、全体として大きく違うのか色んなことが考えられますね。

ここまであげてきた理論も、全ては音韻現象を全部記述しよう!という目的が存在する(多分)ので、こういう風に説明出来ないことが出てくれば別の理論や別の仮説を考えなきゃいけなくなる訳ですね。繰り替えになりましたが。

まあ、色々と小難しいことを書いてきたんですけど、一つだけなんか感想を言うと、音韻論って楽しくは無いですね。無味乾燥って感じがします。理論に魅力を感じる人は楽しいんでしょうけど、私はそこまで好きでは無いです。

ただ、音韻論は連濁と関わりますね。私は連濁が大好きなので、連濁を抜きにしたら無味乾燥な音韻論は非常に味わい深いフレーバーのように感じます。無糖の珈琲はとても苦くて飲めないけど、砂糖とミルクを入れたら大好きになるみたいなそんな感じです。

音韻論にハマるには、何かしらの音に関する現象にハマることでしょうね。私はそう思います。もしくは、理論に変態的に愛を感じることです。私は前者ですかね。

かなり長くなりましたし、もしかしたら色々と理解不足があるかもしれません。

音韻論について詳しく知りたい方は、

『朝倉 日英対照シリーズ 音韻論』を読めば良いでしょう。上野善道氏の書かれた朝倉の『音韻論』もまた良いでしょう。Internetでは、黒田成幸氏の「促音または撥音について」が読めます。生成音韻論を知る上では読むべき論文ですね。またこの論文は黒田氏の『日本語からみた生成文法』にも収録されています。日本の構造主義言語学ならば、服部四郎氏の『音韻論と正書法』あるいは同著『言語学の方法』を読むと良いでしょう。『日本の言語学』という本には、有坂秀世氏の「音韻論」と服部氏の『音素論』が収録されているのでこれもまた良いです。

少しだけ紹介しましたが、私は全てを理解している訳ではありません。またこの他にも良い本が沢山あるでしょうし、どの本にも大なり小なりの問題点はあるでしょう。それを自分で解するのが学問ですので、私はまあ知りません。

ただのB3ですので……

ま、お互い頑張りましょ。