自己卑下はオナニー

どうも。ストロングゼロは血液です。

過激なタイトルですけど、私は基本的にポジティブな思考の持ち主であることを先に明言しておきます。もしかしたら、ポジティブではないかもしれないですけど、おそらく一般的に見ると、ポジティブの部類に入ると思います。

さて、全ての場合において、私は自分を卑下することを嫌います。嫌いな理由は、無駄だからです。
自分がネガティブな思想であると自覚している人は、これを聞くとある種の反発精神を抱くかもしれませんが、私は単に私にとっての無駄な思考が嫌いということだけです。強制しようなんて気は一切ないです。

私は自己卑下なんてものは単なるオナニーで、自分を慰めるだけのものだと思っています。後悔は全てが無駄です。私が一切後悔しないかと言ったら、それは嘘です。たまに後悔をする時があります。しかし、それは反省を伴う後悔であって、後悔が全てを支配する訳ではありません。

無駄な自己卑下が何を生み出すのでしょうか?

私が無駄であると言っているだけであって、他者からすれば無駄では無いかもしれないですが、私には無駄です。

自己卑下で得るものは一体何でしょうか。

私がひとつ言い得るとすれば、それは単なる自己表明における快楽のみです。

自分を貶すことによって、自分を守っているように見えます。自己防衛の観点からすれば、それは許容されるべきですが、他人からはさらなる攻撃を受ける可能性を有しています。

他人の目の前でオナニーをして、許容される人間は大して多くありません。居るとすれば、見ている人と合意が取れているか、見ている人がそれを喜ぶ性癖を有しているかのどちらかです。

基本的に、他者とのコミュニケーションにおいて、他人がオナニーをし始めることを合意することはありません。(一部の場合を除いて)

自己卑下は単なるオナニーであって、それは私にとっては許容されない、という話です。もちろん、自己卑下を許容しない人には、それぞれ理由があって私の理由は個人的な理由にすぎません。

このブログは雑なブログですから仕方ないですね。