言われたことの記憶と記録

成人式終わりに、小学校に行って、タイムカプセルを掘りに行った時、小学校の担任から「お前には苦労させられた」と言われた。私はちゃん「気のせいですよー!」と言いながら、二日酔いだったため、グロテスクな感じだった。多分、気の所為じゃない。

後で寝盗られる恋人に、「何を考えているかわかんない」と言われた。分かった方がすごいと思う。分からないなりに人は関わり合いながら生きているのに。でも、多分、昔の恋人は分かると思いこんで、あるいはそういう風に思える人間関係の中で生きてきたんだと思う。私は分かって貰えなかった。分かってもらおうともしなかった気がする。他人への甘え。

大学の時に長く付き合っていた恋人に、変だと言われた。多分、お互い変だった。もう少し、私が優しさを持てていれば、きっと。性格は似たような感じだったと思うし、楽だった気もする。でも、どこか窮屈で、どこか面白くなかった。人生は面白くなきゃと思った。

高校以来あってなかった友達に、「お前良い奴やったんやな」と言われた。私は常に良い人間であったつもりだったから、少しショックだった。確かに優しくなったのかもしれない。もしくは、どこかで友人も恋人も家族も他人でしかないことに気づいてしまったのかもしれない。でも、それが優しさ。自分ではない人がいることを知ることが優しさ。

恋人に、たまに愉悦の笑みを浮かべていると言われた。普段は笑っても口角が上がらないのにと。可愛さと嗜虐心はいつも繋がっていて、笑ってしまう。抑えようと必死になって、いつも笑み。

私のことを本質的に理解する人がいれば良いのにと思うけれど、誰もいない。いつの間にか、他人の気持ちがある程度わかるようなってきた。気の所為かもしれないけれど。他人が怖がるくらいには、他人がどう思ってるかを当ててしまえるくらいになってしまった。私にも私がいればいいのにな。

でも、私の感情を私よりも知っている、あるいは、これは言い換えに過ぎないと私は信じているけれど、言語化できる人間はいないと思う。実は、他人がどう思っているかなんて言うのは、類型化されたある感情を、その人に少し寄り添う形で言語化してあげているだけで、自らの感情さえも言語化できない人間が、私が心を知っていると思ってしまうだけ。これが共感。

私を知りたいのに。少しだけでも良かったのに。